はた織り(Weaving)
秋の収穫ラッシュが過ぎて一段落すると、アルマンゾの母さんは機織りにとりかかった。母さんの仕事部屋の棚には、夏に染めておいた、赤や茶色や黄色の毛糸のかせがぎっしりと詰まっていた。それを織り機にかけて布に仕上げるのだ。母さんの手がすばやく動き、梭が飛ぶようにくぐり抜けると、赤や黄色の糸が交差して、カラッ、カラリとリズミカルな音が部屋に響きわたるのだった。
手織りの布地
母さんのはた織りの置いてあった仕事部屋はストーブの煙突が通っていて冬でも温かった。広いスペースを必要とするはた織り機は暖房のない奥の部屋に置かれることが多く、冷え込みが厳しくなると仕事が出来なくなった。ストーブの煙突が通っていただけ母さんは恵まれていたといえる。けれども温かいとはいっても、ストーブの煙突は周囲をほんの少し温めるだけだ。彼らの寒さの尺度は私たちとは異なるので、差し控えて読んだ方がいいと思う。
『農場の少年』の背景となった十九世紀半ばには機械織りの布が手ごろな値段で購入できるようになって、家庭から梭の飛び交う音は消えつつあった。けれどもアルマンゾの母さんはかたくなに昔ながらのやり方を守っていたようだ。ワイルダー家のように働き手となる女の子のいる家では、手間はかかっても金銭的には見合っていたのかもしれない。でもアルマンゾとローヤルをのぞいては家族の晴れ着は機械織りで仕立ててあったから、母さんは機械織りと手織りを使い分けていたようだ。手織りの布は機械織りに比べて見劣りがした。よそゆきのドレスが手織りだったりしたら見栄っ張りのイライザ・ジェインはかんしゃくをおこしたかもしれない。おそらく母さんの織った布は、子ども服、仕事着、ねまき、ペチコート、ハンカチ、布巾といった、実用的なものに使われたのだろう。
ローラ一家がダコタからミズーリに移住する途中、ネブラスカを通り抜けたときに、ローラは「裁判所をみた。きれいだ」と、「わが家への道」の八月六日の日誌に記しています。現在、この裁判所はオリジナルの姿をとどめていないので、おそらくローラたちがみたものとは違うと思いますが、今年、改修工事が行われるそうで、オリジナルのものに近くなるそうです。現在の裁判所の写真をご覧になりたい方は、記事がアップされているうちにこちらまで。
裁判所
織り職人は男性
どの家庭でも機織りは女性の仕事だったがプロの織職人は男性だった。彼らに紡いだ糸を預けておくと希望の柄に織ってくれた。町や村を訪ね歩く渡り職人は納屋や夏の台所に寝泊まりして、女たちが紡いだ糸を織り上げるまでその家に滞在した。報酬は農作物や余剰の紡ぎ糸で支払われることもあった。
ローヤルの服
ドーナツとクッキーをほおばりながらアルマンゾが母さんの仕事部屋に入っていくと、母さんは天然の糸でローヤルの高校入学の生地を織っていた。この生地は紡いだ白い羊と黒い羊の毛を染めずにより合わせて織るもので、羊の灰色という意味の「シープス・グレイ」と呼ばれた。白と黒の割合を変えることでさまざまな色合いを出すことが出来た。シープス・グレイは主に男性の服に用いられた。
アメリカの理想
『農場の少年』は一八六六年のニューヨーク北部を舞台にした作品である。そのころのニューヨークでは機械織りの布地が手ごろな値段で手に入ったが、アルマンゾの母さんは、糸を紡ぎ、布を織り、手織りの布で家族の衣服を縫っていた。手織りの布はひと目でそれとわかり、機械織りに比べると格段に質が落ちた。『農場の少年』にも「貧しい人は日曜日にも手織りの服を着なければならなかった」という記述がある。ところが裕福な農場の息子だったにもかわらず、アルマンゾとローヤルは手織りの晴れ着を着ていた。ローヤルのアカデミー高校の入学用の晴れ着も手織りだった。アルマンゾは靴屋のおじさんにぴったりのブーツを作ってもらったことがある。当時としてはかなりの贅沢である。それほどの余裕のある家なのだから、息子たちに機械織りの服地が買えないはずはない。実際、息子以外の家族の晴れ着は機械織りだった。それなのになぜ二人は手織りを着ていたのだろう?
「小さな家」シリーズには、自由、独立、勤勉、倹約といったアメリカの根本理念が随所に埋め込まれている。アメリカ独立戦争や米英戦争では自給自足が理想に掲げられ、手織りの服は愛国心と結びついて理想生活の象徴とされていた。ローラは手織りの晴れ着によってそれを強調したかったのかもしれない。でもそこに皮肉なものを感じてしまう。当時でも、「手織りは理想」と言いながらもほとんどの人々は見栄えの悪い手織りの服を嫌い、経済的や実用的な理由からしかたなく手織りを身につけていたのだから。余裕があれば機械織りを選び、ファッションにうるさい人たちは手織りの服に眉をひそめるほどだったという。理想と現実とは別だったのだ。
手織りが優雅な趣味となって久しい。かつて手織りの服にまとわりついていた貧乏臭さは消え去り、それに代わって手作り、愛情、勤勉、倹約というポジティブなイメージを現代のアメリカ人に与えるのかもしれない。もしそうならローラの意図はみごとに成功したといえるだろう。